3.6.

ねむらずに朝が来て ふらつきながら帰る
誰もいない電車の中を 朝日が白昼夢色に染める
ああ制服の少女よ 気が狂いそうな青空と朝日の
せいで白くまぶしい
俺はうすく目を開けて 閉じてそしてまた開く
現実と残像は繰り返し 気がつくとそこに
ポケットに手を突っ込んで センチメンタル通りを
練り歩く 17歳の俺がいた
朝日は いまだ白くまぶしくて
俺がおれを取り戻すのをじっと待ってる
だんだんクリアになってゆく 頭の中の想い出が遠ざかる
さあもう目を開けて 感傷のうずまきに沈んでゆく俺を
まぼろしに とりつかれた俺を
突き飛ばせ そしてどこかに 捨てちまえ

OMOIDE IN MY HEAD -NUMBER GIRL-

 


 今日はいつもより薄いコートで外に出ることができた。春がきている事を肯定したいがためにここ数日寒い思いをしながら薄手のコートを羽織っていたけれどやっと報われた。街ゆく人々は暖かい日差しを浴びてどこか嬉しそうでその足取りも軽い。
 卒業シーズンがやってきた。出会いは別れとともにあって僕も例外ではなくたくさんの出会いと別れを繰り返してきた。自分が数ヶ月、数年と身を置いてきた環境に別れを告げるのはやはり寂しいもので、それがどこのだれかも分からない人に訪れていると感じるだけで少し胸が苦しくなる。しかし当事者にとって別れというのは実際にその瞬間が訪れるまでほとんど実感はないもので、やれ先輩だやれ後輩だかがこぞって、おめでとうございます、これからも頑張ってくださいなどと伝えてくるばかりだ。卒業はめでたいのことなのか、言われてもイマイチ実感のないまま卒業したその翌日にどこへ行く気力も対して起こらず家で午前中をだらだらと食いつぶして初めてなんとなく感じたものだった。
 大学というのは極めて特殊な環境だ。例えば義務教育では年齢こそ同じではあるもののいろんな価値観を持ち多様な家庭環境を抱えた人間が同等の教育を受けているにも関わらずそれを学問の道として選択して人生を歩む人間もいれば手に職をつけて強く逞しく生きていく人間もいる。同じ年齢というだけの人間が一堂に教室という箱におさめられる。一方で大学はその道を志した人間が集まる。年齢もバラバラでバックグラウンドに差があるために多様な環境であるように見えるかもしれないが、本質的には似た人間が多いように感じる。専門性が高まれば高まるほど、特にその傾向は強い。
 大学でも友達ができた。彼らはきっとこれからの人生でもそれなりにつながりを持ってお互いの人生を見守ることになるのだと思う。信頼できる。人間関係に絶対はないけれど。
 想い出は人に力を与え、心の支えとなり、人を苦しめ、人を殺し人を生かす。忘れてしまった想い出もきっとまだ心の中のどこかで時々僕にちょっかいを出しているのだろう。友達と街を練り歩き朝まで美味しいお酒を飲み明かせばひどく痛む頭でぼーっと乗った朝の電車も、大好きな人に告白した道に生えていた草の匂いも、初めてギターを手にして鳴らしたGコードも、みんなで鳴らしたあの曲も、ぜんぶ今の自分だ。
 先輩の卒業に際して追いコンが開催されることになり、友達とバンドで出演することになった。ぼくはまだ数年学生でいられる。想い出を作ってかき集めている真っ最中だ。想い出は人を生かし、人を殺す。卒業することは、人や環境との別れは、その想い出と別れることと共にあるのかもしれない。想い出は心を癒し支え、力を与える。センチメンタルな心は逃げ出そうとするその足を引き止めてくれるかもしれない。でもそれだけじゃ。
 自分が卒業するときには、きっとこんなこと考えられないのかなって思います。
 どうか感傷のうずまきに沈むことなく、全部突き飛ばして進んでください。いつかはその想い出があったことすら忘れてしまうくらいに。
 ご卒業おめでとうございます。